死に方は,考えれば考えるほど大事であることがわかる。人は死ぬために,生きているのだから。
quote:日本で若い7人がインターネット上で連絡して計画を立て,自動車の中で自殺したとロイターが報じている。4人の男性と3人の女性は,東京の近くの皆野という場所の車の中で一酸化炭素中毒で死んでいた。関連は未確認だが,そのなかの2人の女性は以前東京の南で自殺を行っていた。当局はネットで連絡をとった自殺で,昨年34人が死んでいると報告している。
死にたい奴は勝手に死なせてやればいいのにと個人的には思うんだけど,宗教家を中心として自殺は悪であると考える人もいるようだ。死にたいときに死ねない人間はもっと不幸なだけであり,死ぬ権利ぐらいは自由に持っていてもよさそうなものだが。別にネットで一緒に死ぬ相手を探すのもおかしいことではない。ネットで,一緒に死ぬことを話すのも,就職先についての不満を話すのも,ネコミミモードについて話すのも,なにも違わない。
人は自分の「生」を,自由に作ることができないことが多い。生まれた場所も変えられないし,年月もごまかせないことが多い。性別は変えることができるようになってきたが,なぜか性別を変えたというあまりよくない印象が付いて回ることが多い。だがその分,「死」は思い通りにできるものだ。穏やかに昔を懐かしみながら老いを過ごして家族に見取られてもいいし,爆弾を胸ポケットに忍ばせて無能な警察署に突っ込んでいってもいい。ネットワークにはいろいろな死に方の手引きがあるだろう。死に方とは,生きる者に与えられた最大の資格なのだから。
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